■清水先生の四十九日 2004.9.24

 雅魚んちのマンションの1階には、『清水耳鼻咽頭科』というとても評判のいいクリニックがありました。そう過去形なんです。今年7月24日、院長の清水浩二先生(享年47歳)がご病気でお亡くなりになられました。副鼻腔炎を持つ雅魚はカゼをひくと滝のような鼻水が出るため、自分から「はなせんせい、いこー」といって毎日のように通っていましたし、具合が悪くなくても学校の帰りに医院のロビーで絵本を読むのが日課にもなってました。

 口数の少ない物静かな先生でしたが、患者の話を一生懸命に聞き、黙々と処置をする職人肌な先生が雅魚は大好きでした。ここ1年、先生が闘病のため、週に何度かヘルプの先生が来ていたのですが、診察室に清水先生がいないと雅魚はいつもがっかりしていたものです。7月の末、医院の前の貼り紙で先生急遽の知らせを知ったとき、ママの悲しむ様子を見て、雅魚も「はなせんせい、しんじゃった」という事実をすんなり受け止められたようでした。先生の奥様から法要出席のお招きをいただき、雅魚には「はなせんせいに、さようならしにいこうね」と説明して連れて行きました。「人間の死」ってものを雅魚なりに理解しているようで、法要後のお食事会でも先生の遺影を何度もなで、お話していた雅魚なのでした。

 清水耳鼻科の真上に住んで約7年。ふとんや洗濯物をよく落っことしました。雅魚もベランダからいろんな物を落っことしました。一番思い出深いのが「灰皿事件」。ホタル族のパパの灰皿(瀬戸物)がいつもベランダに置いてあるのですが、それを雅魚がベランダから投げたのです。間一髪で人にケガをさせることはなかったのですが、怖い思いをさせてしまった患者さんたちに雅魚と一緒に平謝り。雅魚はママにそれはそれはきつく叱られました。そしてママが散乱した破片と吸殻を掃除している間中、雅魚はアスファルトに正座して涙を流して反省してましたっけ。そんな話も、先生はご家族にされていたようで、奥様からの強い要望で今回の法要に参加させていただくことになったのです。当日、雅魚が退屈しないようにと、奥様はかわいい指人形(毛糸でできたバットマン)を用意していてくださいました。ありがとうございました。清水先生、いつまでも忘れないよ。

お寺での法要の後、お食事会

 写真の上にカーソルを置くと、雅魚ちんが動きだします 

 

 

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