■10時間の手術 2004.12.29

 頭蓋骨早期癒合症改善のため、12月22日、10時間におよぶ手術を受けました。順天堂医院の脳外科・形成外科の先生たちが合同で執刀してくださいました。つむじからおでこにかけての頭蓋骨を4つのパーツに切り分け、広がりを持たせて組みなおし、隙間に人工的なプレートを入れて固定するという手術です。読むのに時間がかかるかとは思いますが、とても辛い状況をがんばりぬいた雅魚の術後の回復記録からお読みください。

 

【12月22日】朝8時30、泣いたりぐずったりすることもなく、手術室へ入っていく。18時すぎ、手術が終わったとの知らせを聞いて、パパとママはICUにかけつける。たくさんの管と機械に囲まれ、顔面以外は包帯でぐるぐる巻きになり、顔は腫上がったままベッドに横になっている雅魚。変わり果てた痛々しい姿を見て、今回の手術がいかに大変な手術だったか、雅魚の体にどんなに負担だったかが、とてもよくわかった。「こんな小さな体で大きな手術を受けた」そう思うと胸がいっぱいになる。麻酔が切れ、朦朧とした意識の中、パパとママの声を聞いた雅魚が大きな声でしゃべった。「ねんねして、おっきして、おっはーして、あしたのがおは?」明日のスケジュールを確認するいつものセリフだ。生きて帰ってきた。ちゃんとしゃべってる。よかった。

【12月23日】ICUにて。朝の10時ごろ面会に行くと、意識はもどっていたが、じっと寝たままほとんど動かない。「痛い?」と聞くと首をふる。「きつい?」首をふる。「眠たい?」うなずく。術後は、眠れる状態が一番いい。ドクターから「術後は顔がすごく腫れます」とは聞いていたが、すごい。昨日はうっすら目が開いたが、今日は完全に目が開かない。頭部の手術は、傷口を中心にして、術後に大きく腫れるとのこと。雅魚の場合は眉毛あたりの骨まで扱っているので、まぶたがかなり腫れるというわけだ。目が見えないため、寝たままずっとママの手を探し、握っている。「手術したから、お顔はれてるけど、だんだん楽になるからね」というとパニクることもなく納得してうなずく。病室内にあったディズニーオーケストラのCDを聞くのが心地よい様子。「クリスマスおんがくききたい」という。長い時間内臓の働きを止めていたせいで、胃腸の動きが悪い。鼻から胃にチューブが入っているが、かなりの胃液が上がってきてそのたびに「オエッ」と目を覚ますのが心配。

【12月24日】ICUにて。「顔の腫れは、今日がピークかな?」とドクター。昨日よりさらに腫れ、唇まで晴れ上がって、今日は口がほとんどきけない。体を動かす元気が少し出てきて、寝返りを何度か打つ。楽しみが耳だけとわかったので、来院前に担任の先生からのメッセージをテープに録音してきたものを聞かせてあげる。うなずきながら聞いていた。クリスマスのCDを家から持ってきてかける。レゲエクリスマスをかけると「これなあに?」と大人びた口調で聞くので驚く。CDがとまると、「おんがくききたい」という。足裏マッサージをしてあげると、とても気持ちいいようで、無言のまま足をつきだし、「もっとやって」とせがむ。1時間以上やっていた。

【12月25日】ICUにて。昼過ぎに行くと、まだサンタさんからのプレゼントを開けていない。目が見えないから、興味ないのか?と思ったが、顔の近くにプレゼントを持っていき看護婦さんにプレゼントを開けてもらうと、どうやらプレゼントが見えているようで喜んでいる。わずかなまぶたの隙間から、『映画チラシ大全集』を食い入るように見ている。寝ていると本が見にくいようで、本見たさに体を起そうとする。術後はじめて座位になって、本を見ている。その姿を見たドクターが、鼻のチューブをぬいてくれる。飲みものを飲んでいいとのこと。「ヨーグルトやプリンなど、やわらかい食べ物もいい」とドクター。プリンを半分食べたが、甘いものが苦手な雅魚は「きゅうしょくたべたい…」とつぶやく。冗談を言うと、小さく笑ってくれる。

【12月26日】ICUにて。お昼から、固形の給食が出る。わずかなまぶたの隙間を頼りに、ゆっくりゆっくりと自力でカレーライスを食べていた。最後の管、点滴も抜け、「歩く練習したほうがいい」とドクター。20床弱の2号館ICU(他館にもICUあり)をまずはママに抱っこされて1周。頭のふらつきも少ないので、自分の足でゆっくり1周。今まで、自分一人が寝かされていると思っていたようで、包帯ぐるぐるで重症の患者さんがたくさんいるのを見て、「きついのは、ぼくだけじゃないんだ」とわかり、なんだか勇気づけられたよう。サンタさんにもらったDVDを見せてあげると、大喜び。おもしろいシーンでは、声をあげて笑う。体は回復してきたとはいえ、うそみたいに静かでおとなしい雅魚だが、ほんの少しいつもの雅魚らしさが出てきた。

【12月27日】午後から、小児病棟に戻っていいとのこと。歩く練習もしっかりしたので、隣の棟の病室まで歩いて帰る雅魚。私たちは見慣れてしまったが、包帯頭に周囲の人はギョッとする。小児病棟に戻ると、看護士さんたちは大喜びだが、子どもたちがよそよそしい。顔が腫れ上がりすぎて、小さなお友達にはこれが雅魚だとはわからないみたい。「このミイラくん、誰?」といわれるし…(苦笑)。すぐにわかってくれるだろうけど、最初はしょうがない。雅魚は、子どもの声がする賑やかな病室に戻ってホッとした様子。まだ一人で歩くのは不安なのか、ベッドからは出ようとしない。

【12月28日】午後から面会に行くと、「ほうたいとれた」とはっきりした口調で教えてくれる雅魚。診ると頭の包帯がとれて帽子をかぶっていた。「傷はもう大丈夫なので、お風呂に入っても、頭を洗ってもいい」とドクター。傷跡を見せてもらうが、完全に乾いていて、ガーゼなしでも大丈夫な感じ。でも、雅魚の頭にザクザクと走ったメスの跡を見ると身震いがする。ホッペから下の腫れがずいぶん引き、アゴのラインが見えてきたが、目の周りはまだまだ腫れていて視界を遮っている。

【12月29日】雪が降っていたので、雅魚を病院の自転車置き場に連れ出した。飛び跳ねて喜び、その後こんな質問をしてくる。「あしたのてんきは?」こんな質問、今までしたことない。天気については”晴れ”と”雨”の違いがわかる程度だったのに…。学校の障害児学級の先生2人がお見舞いに来てくれる。よほどうれしかったようで、帰り際、2人の姿が見えなくなるまで病院の玄関先でいつまでもいつまでも一生懸命手を振っていた。

【12月30日】ここ2〜3日、看護士さんへの態度がとても凶暴になっているのが気になっていた。入院生活が嫌というわけではないみたい。2回もわざとベッドにおもらしをした上、シーツ交換をしてくれている看護士さんを追いかけてまで叩こうとするので、叱った。すると、ポロポロと涙をこぼす。よほどのことがないと泣くことのない雅魚が、今回の入院で初めての涙。よっぽど辛いことがあるのだろう。「お目目がよく見えなくてイライラしてるんでしょう?」と聞くと、コクンとうなずいて涙をこぼす。不快なこの状態がいつまで続くのか、元の顔に戻るのか、子どもながらに不安だったのだろう。「雅魚がきついのママわかってるよ」と言うと、安心した表情を見せる。

【12月31日】看護士さんへの態度が一変して、いつもの雅魚に戻ったとのこと。外泊の許可が出たので、午後から自宅へ。雪に大喜びし、あまりにせがむので、雪を器に入て家まで持ち帰った。

12月29日・30日の雅魚の様子です。

 写真の上にカーソルを置くと、雅魚ちんが動きだします 

 

*雅魚ママより*

2004年もそれはそれはたくさんの方々が雅魚のことをかわいがってくださいまして本当にありがとうございました。

小学校という新しい生活環境の中に飛び出した年でもありましたが、この生活もまだ1年足らずだというのに、学校で(障害級&健常児)、学童クラブで、親もびっくりするほどたくさんのお友達を作ってくる雅魚。取り巻く大人たちともたくさんの出会いがあり、たくさんの愛情を注いでもらいました。会話らしい会話もできないというのに、たくさんのお友達を作り独自のコミュニティーを持っている雅魚。「あ、雅魚くんだ!」街を歩いていると、私たちも知らないたくさんの人から声をかけられることかけられること。

雅魚のまわりで、感動の出会いがあまりにも多かったこの一年。その度に雅魚ママはこんな不思議な気持ちを抱くのでした。

「この子は、人と人を結びつけるなにか大きな使命を背負って生きているのではないか?」

 年末に突然やってきた大手術の経験。こんな辛い思いばかりしなくてはいけない体に生まれて…と感傷的にもなるけれど、よく考えると、もしこれが10年以上前だったら赤ちゃんの時に、いや出産前に命絶えていてもおかしくない命。なのに、どんな状況が迫ってきても、雅魚は生きようとする。彼の魂がそうさせているかのように。雅魚はこの小さな体で、いったい何を伝えようとしているのだろう?2005年には、その疑問のヒントが少しは見えてくるのかな?それとも何十年もかかるのかな?

 

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