■養護学校 2003.11.18

 雅魚パパ・ママの希望就学先は自転車で20分ほどの所にある公立小学校の障害児学級(A校)なのですが、教育委員会での行動観察が養護判定だったので、養護学校に体験入学してきました。この体験入学、ママはもともと乗り気じゃなかったのですが、雅魚の嫌がりようにはびっくりしました。とにかく、この教室・建物から逃げようと必死でしたし、校長先生とのマンツーマンの対話の時も先生の手に爪をたて、しまいには指鉄砲で「バーン!」と先生を撃ってまでこの場を離れたい!と抵抗しました(雅魚にとってこれは必死の抵抗です)。帰りの車の中では、「おうちかえる…」と言ってしくしく泣いてしまいました。先生も施設もとてもいいところだけど、雅魚にはこの学校は合わない。ここに雅魚を通わせるわけにはいかない。

こんなに強く抵抗する雅魚をはじめて見ました。

 

こんなに近い距離にいるのに、ここでは子ども同士の係りがありません。雅魚も興味を示しません。

 写真の上にカーソルを置くと、雅魚ちんが動きだします 

 

【就学活動の記録】

5月2日 教育委員会就学相談係に、「知的障害児の就学には、どういう選択肢があるのか?」を質問に行く。

5月14日 通学区域の小学校(身障学級なし)を見学。校長に会い、参考のため「この学校fでは、普通級に介助員をつけての入学は可能か?」を聞く。

5月20日 区立小の身障学級2校を見学。そのうちの1校(A校)を両親・雅魚ともに気に入り、就学先の希望が定まる。

8月18日 就学判定のための知能テストを母子分離で受ける。

9月12日 両親が希望するA校の身障学級に半日体験入学。やはり、雅魚・母ともに「この学級が雅魚に合っている」とさらに強く確信する。体験入学後、校長とも1時間以上じっくり話し合い、私たちは「この学校に入れることで雅魚はどこに居るよりも伸びる」と思われる事例など、切実に主張する。その場では、私たちの意見を否定されることもなく、校長に対しては「保護者の話を受け入れ、子どもの環境を真剣に考えるいい先生」との印象を受ける。

9月17日 就学判定のために行動観察を母子分離で受ける。

10月中旬 行動観察の結果「養護学校が適する」と判定が出る。

11月4日 教育委員会より「A校の校長より、雅魚くんを我が校で受け入れられないとのことです」と電話があった。「養護判定が出ているので、近々養護学校を体験入学してください」とも言われた。

11月18日 養護学校体験入学。1時間半ほど。その様子は、上の動画で。

11月19日 教育委員会就学相談係を訪れ、「養護判定が下された理由と希望校に受け入れてもらえない理由をくわしく教えてほしい」と伝える。判定結果の資料を閲覧させてもらうが、その内容は愛の手帳更新時や療育園で専門家に指摘されることとそう違いはなかった。そしてA校校長が受け入れを拒否した理由として「養護判定が出ているから。(障害児学級)の学区域ではない子だから」の2点だという。「教育委員会はこれ以上間に入れないので、あとは校長と保護者が直接話し合ってほしい」とも言われる。

11月20日 A校の校長室を訪れる。「養護学校も体験入学したが、やはりこの学校に入学したい」こと、昨日までに教育委員会伝いに聞いていることを伝える。すると校長は「受け入れないなんて私は言った覚えはない。教育委員会は私( A校校長)の発言をねつ造している。教育環境を選ぶ権利は保護者にあり、最終的にはその希望が通るんです」と言う。「じゃあ、受け入れてもらえるのか?」と問うと「あれだけの専門家が集まって養護学校の判定を出したのだから、養護学校が一番適している環境に違いない。人手の足りないうちの学校で、ご希望にそうような教育を与えられる自信がない」という内容の話をただ繰り返す。そんな煮え切らない会話を3時間。「でも私たちの希望は変わりません」「我が校に持った印象も養護学校に持った印象も、2回目には違ってくるかもしれない。もう一度この2つを体験入学したほうがいいでしょう」と校長。「A校身障学級の体験はもう一度だけしてみますが、養護学校はもう体験したくありません」と親の気持ちを伝えた。

11月21日 教育員会就学相談係を訪れ、校長は「私は雅魚くんを受け入れないなんて言った覚えはない。教育委員会は私の発言をねつ造している」と言っていたこと、「もう一度体験入学したほうがいい」と言われたことを伝える。

教育委員会の人も呆れていた。「そんなことはないのよ。A校の校長は、こちらが保護者の希望を伝えても、どう説得しても、強い口調で反論し首を縦にふらないのだから」と。雅魚より障害が軽く身障判定の子どもの受け入れさえも、A校校長は首を縦にふらなのだという。ここでの話と昨日のA校校長のまわりくどい説明を聞いていて、「あの校長は自分の学校に障害児が増えるのが嫌なのでは?」と感じた。そして教育委員会より電話があり、12月4日にもう一度、A校の障害児学級で朝8時30〜13時頃まで体験入学をするという日程が組まれた

12月4日 A校2度目の体験入学終了。ここにきても、校長と教育委員会の言い分は異なるばかり。まず朝、私たちは教育委員会からして指定された時刻(8時40分)に指定された場所(教室)に入った。にもかかわらず、校長と教育委員会の指導員(元教員)は校長室にいた。「石山さんはお忙しいだろうから、朝8時30〜13時頃まででどこか可能な時間にいらっしゃってくれればいい。私たちは石山さんのために、朝8時30〜13時頃まで時間を作って校長室でずっとお待ちしていますから、と教育委員会には伝えたんですよ」と校長。「あんた、11月20日に『もう一度この2つを体験入学したほうがいいでしょう。今度は1〜2時間ではほぼ1日過ごすスケジュールで』って自分で言ってたやん!」と心の中でつっこんだ雅魚ママ。学級担任の先生には「石山さんがまた体験入学をしたいというから、適当な時間に今日来るから」と伝えられていた。私たちは体験入学なんて希望していない。校長のすすめでしぶしぶ、来校しているだけだ。

そんなこんなで、すべてがおかしい。体験入学後に校長室で話し合いをする際、膝の上で密かにインタビューテープを回していた。案の定、「私は受け入れないなんて言った覚えはない。あんなこともそんなことも、言った覚えはない」の校長お得意のすっとぼけ会話がはじまった。カチンときた雅魚ママは言った「誰が言った言わないなんて、どうでもいい。実は私テープ回させてもらってますので、それではっきりすることでしょう」と。雅魚のことを考えてくれた時間は、一瞬でもあったのだろうか?

だが、母は「この学校に入学させたい気持ちは揺らぎません!行政的に入学できるかできないかだけを早く決めてくれ!」と言い張ったところ、教育委員会から「雅魚くんがA校入学するという正式な手続きを今からすぐに進めます」と答えがあった。

 

【なぜA校を選んだの?】

 なぜ、こんなにも私たちがA校にこだわるのか?

・それは、家族3人で見学した時、雅魚が楽しそうに笑顔で参加していた唯一の学校だから。

・成れない場での先生や大人たちには反発しても、A校の障害児学級のお兄ちゃんたちの指示だけはちゃんと聞き入れ、自分からも”お兄ちゃん大好き!”と抱きついていく。

・他の障害児学級や養護学校では、子どもどうしの反応が薄いこともあって、雅魚が子どもたちと係ろうという姿勢すらみられなかったから。雅魚の唯一の長所ともいえる、「人とのコミュニケーションが好き!」という部分を伸ばすには、言葉のコミュニケーションのある約20人の賑やかな障害児学級又は、普通学級がふさわしいと思った。

・障害児に慣れたスタッフに基本的な生活動作(着替え、食事、排泄など)の足りない部分をサポートしてもらえそうだと思ったから。

・できるだけ生活圏内(買い物や公園遊び、お祭りなどで子どもたちが顔を合わせられる範囲)の学校で育てたい。

そういった想いをよーく考えてからの結論でした。でも一番の決め手になったのははっきり言って”雅魚の笑顔”。いろんな手続きで母子でA校を訪れる度に、A校の教室・お兄ちゃんたちのことをどんどん好きになって走り寄っていく雅魚。その姿を見る度に「あぁ、ここに通わせたい」と切実に思う。ここの障害児学級の先生の様子・学級の基盤を見ていても、安心できるし好感が持た。

だけど保護者としては、そんな感情論だけではない療育的な認識も踏まえた上での揺るぎのない結論で、雅魚を通わせたい学校としてA校を選んだのです。

どうか神様、お力を!

 

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